平安末期の武将「斉藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)」は源氏に仕えた越前の武士で、源氏の非道さに嫌気がさし、後に平家に仕え源平合戦中に木曽義仲の奇襲で加賀の国で討たれました。その時、稲の株に足をとられて討ち死にした実盛の霊が稲の害虫となったと言い伝えられました。その後の数年凶作が続き、実盛に子供の頃世話になった義仲が、実盛の供養と豊作祈願のために虫送りを始めたと言われています。大ワラジを担ぐのは実盛が討ち死にした時の怨念が虫になり、履いていたワラジから出て稲に害を及ぼしたといわれ、実盛の供養のためにワラジが作られるようになったそうです。